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2016年12月13日 (火)

命って何だろう?

Img_6132bbl子猫のレイチャ、昨夜死にました。 一緒に過ごしたのは一週間だけですが、レイチャのことは、いつまでも忘れない。

 
先週の火曜日のお昼前、僕が庭の落ち葉を掃いていたら、レイチャが僕の足元に来た。 僕は思わず目をそむけた。 レイチャの両後ろ足は潰れて泥だらけ、まるでぼろ雑巾のようだった。
 
前足だけでイモムシみたいに這って、レイチャは僕のところに来た。 僕を見上げて、ミャオと鳴く。 抱き上げると、ゴロゴロ喉を鳴らす。 その振動が掌に伝わって来る。 僕たちは鼻を合わせて、ネコ流の挨拶をする。 
 
レイチャの後ろ足は、両方とも腰のところから完全に砕けていた。 車に轢かれたのだろうか? だけど怪我をしてからかなり日が経っている。 たぶん2週間以上。 血が通わないから、足先から壊死が始まっていた。 でも上半身は清潔だ。 生後3か月ぐらいだろう。 母ネコが舐めてきれいにしていたことは明らかだ。
 
数分前、僕は車の音を聞いていた。 うちの前に止まって、すぐに走り去った。 手に負えなくて、うちに投げ捨てて行ったんだろう。 母ネコから、引き離して。 悪い奴。 でも、この子は助からない。 水路に放り込むより、優しいのかもしれない。
 
ともかく、世話をすることにした。 もうすぐ星になる子。 星はスペイン語でエストレィジャ。 茶色のお星さまだから、レイチャ。
 
レイチャは、腰の骨も折れているようで、排便が出来ない。 もちろん、後肢がボロボロだから穴も掘れない。 尿も染み出すだけだ。 食欲はあり、水もよく飲んだが、お腹がパンパンに張った。 流水で下半身を洗って、テラスの日なたに横たえる。 体が乾くと、レイチャは眠ってしまった。
 
レイチャは日が昇ると、下半身を引きずって這い出し、日なたに横たわってご機嫌だった。 だけど壊死は進み、日々衰弱する。 4日目からは、何も食べなくなり、水も舐めるだけになった。 夜には段ボール箱の寝床に入れて、這い出さないように蓋をした。 夜明け前には、ミャオミャオ鳴いた。 母ネコを呼んでいたのだろう。
 
昨夜、寝床に入れた時には、レイチャはもう頭すら動かせなかった。 でも今まで以上に、ゴロゴロ喉を鳴らして僕を見つめる。 死にゆく動物の目って、どうしてあんなにきれいなんだろう。
 
僕がシャワーを浴びて戻ってきたら、もうレイチャは死んでいた。 体を長々と伸ばして。 まるで、無くなってしまった後ろ足まで伸びをしているようだった。 うっすら開けたままの目に、涙が溜まっていた。 
 
レイチャは、何のために生まれてきたんだろうか?
 
僕はいつも動物たちと暮らしていて、小さな命が消えていくのを、生まれてすぐに消えていく命を、たくさん見てきている。
 
命って、いったい何なんだろうね? 今までに、どれほどの命が生まれ、消えていったことか。 そして、これからも。 まるで、流れの中の泡のようなもの? でもその泡には、それぞれ確かに自我があり。 命って、ほんのかりそめのことで、その向こうには、永劫不変なものがあるのだろうか?

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コメント

とてもお綺麗な柄の猫さんですね。
僕も学生時代や前の職場では、動物が亡くなっていく姿を度々見届けました。どのこも最期にみせる瞳の輝きは、僕には受け止めきれなかったことをよく覚えています。
そして私も、自分の分も含めて命って何だろう?と思ってしまいます。

どんな出来事も、一瞬ですね。
作った料理が美味しいのも、夕日が赤っぽいのも。

ご冥福をお祈りします。

投稿: しょろ | 2016年12月13日 (火) 20時37分

腎臓病と診断された我が家の老猫が、いよいよ危なくなってきました。もうほとんど食べないし、今朝はトイレの横の床に失禁。獣医の言うように、楽な旅立ちを手伝ってやるべきなのか、心が揺れているところです。

出来ることなら、自然に燃え尽きていく命を、しっかり見届けてやりたいと思うのですが、どんどん衰弱していく姿を、見るに忍びないという、夫の気持ちもわかります。

多分、正解なんかないし、苦しんだあげくの飼い主の決断は、誰にも批判されるべきではないとも、思うけれど・・・。
動物の命から、人間の命のことへと、思いが広がっていきます。

投稿: 胡蝶 | 2016年12月14日 (水) 01時59分

前飼っていた猫がトラ猫で引っ越しの一年ぐらい前に亡くなりました。辛いですね。
トラ猫を見ると今でもどこかで比べています。
似てる、、とか。
最後OTTOさんと一緒で幸せでしたね。

投稿: サニー | 2016年12月14日 (水) 05時37分

>しょろさん
そうだね、何もかも一瞬で儚いもの、だから大切で美しいんだよね。 なんだかね、きっとレイチャにはまた会えるような、お別れの時にそう確信した瞬間があった。 僕がそっちに行った時かな。

>胡蝶さん
それは、なんとも、言葉もないです。 僕の愛ネコたちも、失禁するようになった子が結構いて、やがて行方不明になることが多かったです。 最期を看取れた子の方が少なかったです。 何もしてあげられないのが辛いですが、ネコにはネコの逝き方があると。 でもね、本当にまた会えるような気がするのね、天に還っていった天使たちに、いつか僕らも会いに行くのだから。

>サニーさん
僕も、もう30以上の別れを経験してますが、辛さは和らいでも消えることはないです。 面影がそっくりな子に会って、お前ここにいるのかって思うときも。 本当にそうなのかもしれません。 レイチャともたった一週間だったけど、心が通ったように思います。

投稿: OTTO | 2016年12月15日 (木) 15時07分

ブログにも書いたのですが、ティグレはその日の夜、旅立ちました。
OTTOさんのようにコミュニケーションを試みたのですが、私にはできなかった。こちらの顔を見てもくれませんでした。
それどころか、最後にまだ歩こうとしたのは、私から離れたかったのかもしれない。
ずっと傍にいたつもりだけれど、やっぱり逝くときは独りなのですね。
ああ、猫って、なんて気高い動物!

投稿: 胡蝶 | 2016年12月16日 (金) 02時21分

>胡蝶さん
ブログ、拝見しておりました。 ネコって最後は独りでいたいみたいなんです、特に成ネコの場合は。 僕の場合も看取った子は、みんな独りにしてくれと伝えてきました。 行方不明になるのもそうで、同時に飼い主への気遣いじゃないのかなとも。 ネコたちの気高さと潔さ、思えばそれが哀しくて胸が痛みます。 胡蝶さんも、どうかご自愛のほどを。 

投稿: OTTO | 2016年12月16日 (金) 07時13分

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