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2017年5月12日 (金)

花の下にて

014a花盛りの、アマパの木。

また、アマパの話です。 大好きな花なんで。

この木、僕が住むテアカパン村からちょっと走ったところの、原野の一軒家にあります。 まるで桜木みたいでしょう? 毎年、こんなにきれいに咲くんです。 通りかかるたびに、花を見上げて立ち止まる。 色々な思いが去来する。 思うは昔のことばかり。

こんな歌、知ってます?

願わくば、花の下にて、春死なん その如月の、望月の頃。

今日は、遠くに行ってしまった、母の話。

あれはたぶん、僕が中学校の時か。 書家だった母。 墨の香る明るい広間で、母は書き上げた条幅の前に立っている。 何枚も、同じ文句の作品が並んでいる。

やっぱりこれやな、最後のんや、やっとええのんが書けた。

僕は、母と並んで、条幅を見下ろす。

どうや、春らしい歌やろ、読めるか?

行書の書。 え~っと...。 僕は読み切れなかった。

こうや。 よお聞きや。 母は大きく息を吸って、静かに謡う。

...願わくば、花の下にて、春死なん その如月の、望月の頃...。

陽光あふれる、絢爛たる花盛りの春の風景が目に浮かぶ。 結句の、そのきさらぎの、もちづきのころ、その律の美しさ。 おぼろ望月の春の夕べの明るさ。 そして、歌の中心にある、死という句の寂しさ。

素敵な歌。 そして、母の条幅の墨の躍動に、すべてが描かれていると思った。 墨の香りさえ、寂寥を含んだ春の夕べの風のようだ。

わあ、凄い。 凄いわ、これ。

そうやろ、ええ歌やな。

母は、僕が歌を気に入ったと思ったようだった。

西行や。 ぼんさんの歌やで。 ぼんさんかて、春が好きなんやな。

思い出は、これだけです。

でね、僕はどうしたことか、勝手にこの歌を、辞世の句と思い込んでたのね、あの時以来。 ど真ん中の死という句が、印象深かったからか? 最近、これが西行の出家のときの、23歳の歌だったと知って驚いた。 母もそう思い込んでたんじゃないかなと思う次第。 あの条幅を見れば分かりそうに思うのだけれど、残ってないし。 いつか春の花の下で、母に聞いてみようと思う。 

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コメント

母の日ですね。
その桜のような花の咲く木はこの辺では見かけません。

最近、毒親っていう言葉がありますけど、違和感しかありませんね。故意に親子を引き離す為にこんな風潮を広めたという見方もあるようです。
私は母親とも仲良かったので余計にそう感じるかもしれません。
お母さんがお元気なら偶に日本へ帰りたくなりませんか。
私はもういないので日本へ帰っても空しくて何とも寂しい気持ちになります。
家の母親は教育とかは無いですが、百人一首は母の実家のお正月の行事だったそうで、全部暗記していて、これは凄い、といつも思っていました。

投稿: サニー | 2017年5月14日 (日) 12時31分

>サニーさん
僕はアマパでも、黄花より、桜木のようなピンクに惹かれます。 日本人だからでしょうか?
僕の母も7年前に死んじゃいました。 父は4年前に。 兄がいますが、もう実家じゃないので、日本には訪れるところはあっても、帰る所はなくなってしまいました。 でも、特に春の日本は懐かしいです。 僕も母と百人一首で遊びましたよ、父もときどき加わって。 父は弱かったですが。 花の下で、会えますかね?

投稿: OTTO | 2017年5月17日 (水) 09時31分

こんにちは。この記事まるごといただきました。
事後承諾をお願いします。

投稿: 花てぼ | 2017年5月19日 (金) 07時23分

>花てぼさん
承諾! お目にとめていただき、嬉しゅうございます。

投稿: OTTO | 2017年5月19日 (金) 13時14分

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