回想録

2013年7月17日 (水)

回想録ーXXXVI 求め続けたい

0aaaacanon442_convert_2013071110192今を去る24年前、アミーゴたちとの出会いから始まった、僕のメキシコへの旅のことを、回想録として、長々と書き綴ってきました。 お付き合いいただき、ありがとうございました。

ロサンゼルスから、国境の砂漠の町、中央高地の都市、海辺の村。 そして今から、コリマへ旅立ちです。

僕にとっては自由そのものだった、不思議な瞳の明るさに魅せられ...、振り返れば、ときには迷い、時には大いにぶれていますが、見失わずに追い求めてきたつもりです。

だけども、歩いてきた道よりも、今とこれからの僕が大切だと思います。 航跡の白い泡は、やがて紺青の海に呑まれてしまう。 砂の足跡は、波一つで消えてしまいますから。

とうとう僕は、メキシコの庶民になってしまいましたが、それでは果たして僕に、あの瞳の明るさは宿ったのだろうか?

3年前に日本に行ったときに、ずいぶん穏やかになったねとか、ぱっと見ただけでアンタ世間離れしてるよ、なんてあちこちで言われました。 うひゃひゃ...、少しは近づいたかな。 

気持ちとしては、テアカパンでの8年間の庶民の生活を経て、やっとスタートラインにつけたような気がしています。 これからも、いつでも、求め続けていたいと願います。 

次の更新は、コリマからになります。 2~3週間ほど、お暇をいただきます。 チャオ~。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2013年7月15日 (月)

回想録ーXXXV 庶民の生活様式

0aaaaaaaacanon534_convert_201307141 僕は、大学を卒業して、その夏にアメリカへ行った。 それ以来、テアカパンに来るまで、砂漠の町での最後の4年を除いて、ずっと借家住まいだった。 当たり前のことだが、ずっと家賃を払っていたわけね。 これは、考え方によっては、借金みたいなもんだ。

それから、約8年前にテアカパンに来るまで、ずっと勤め人をしてきた。 いつ仕事を失い、収入が途絶えるか分からない。 家賃を払えなくなったら、家族ともども路頭に迷う。 キンタマを握られてるようなもんだ。

で、メキシコの庶民になるぞと意気込んでテアカパンに来て、あばら家だけど持ち家での自営業になった。 収入は減った。 酷いときは、1割以下になった。 だけどたとえ収入ゼロでも、棲家があれば飢え死にしないメキシコの田舎だ。 悪いときには、貧乏暮らしをすれば良いだけのことなんだよね、ぎゃはは。

それから、食堂の仕事は、労働時間は長いけど、100%自分がコントロールしている。 朝、釣りに行きたければ、前夜にできるだけ仕事を片付けておけばよいし。 仕事自体もマイペースでやれる。 すべて自己責任、全く気を使わない。
 
いやぁ、すっかり気楽になっちゃった。 毎晩、よく眠れる。 眠れない夜もたまにあるけど、妻のイビキやフクロウの声を聞きながら、ちっとも苦にならない。 朝は、適当な時間に、自然に目が覚める。 毎日、るんる~んと元気に、ベッドから跳ね起きる。
 
思い返せば、勤め人をやってて借家に住んでた頃は、よく夜中に悶々と仕事の心配をしたし、朝は寝床から出たくなかったなぁ。 いっぱしに月曜病にもかかったし。 結構ストレスが溜まってわけだ。
 
メキシコの田舎の庶民の磊落さ、元気さは、こういう生活様式が理由の一つだと思う。 つまり、貧しいけれども無借金で、生きていく上での最低限の物は常に何とかなると信じてて(神様が与えてくれる( ^ω^ ))、なりわいはアンタが大将。 なるほど、自主独立で地に足が着いてます。 こりゃ、自由で怖いもの無しだよね。
 
こうしてテアカパンで、彼らと同じような生活をしてみて、メキシコ庶民が強い愛国心を持ちながらも、政府や為政者や権力を全く信用せず、(おそらく略奪者として)忌み嫌うのも、いくらかは理解できた気がしています。
 
これから僕が行くコリマ市は、僕にとっては都会ですが、テアカパンで身につけた庶民の生活様式を守りつつ、自分たちの身の丈に合った暮らしをしていこうと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月14日 (日)

回想録ーXXXIIII 心地よき多様性

0aaaaaaaacanon761_convert_201307091

僕は、35歳のときに、12歳年下の妻と再婚しました。 それから末娘は、僕が49歳の時に生まれました。 いずれも、数少ない日本の知人達は驚き、心配してくれたようです。 特に、末娘のときは、親身になって(?)、無責任だとか、娘さんがカワイソウだとか、あいも変わらずだなお前は、なんて批判的な意見をしていただいた方もいました。

ところがね、メキシコでは、こんなの全然珍しくもなんとも無いのね、もっと凄いのがごろごろいるからね。

メキシコに住んで思ったこと。 この国には、本当にいろんな人たちが、いろんな生き方で暮らしている。 貧富に差はとてつもなく大きいし、階級社会だし、人種差別もある。 だけども、何が正だとか、何が異常だとか、そういうのが無いみたいなんだな。 人の生き方に、標準とか普通とかスタンダードとか、そういうものが無いみたいなんだ。 人の生き方だけじゃなく、全てにおいて、そうのようだ。 常識とか、こうするべきとか、そういう概念が、僕も希薄になってlきている。

貧乏人も、原住民も、移民も、未婚の中学生の母親も、孫より若い娘と子供を作る70歳のジジイも、無職の若者も、同性愛者も、デブもハゲも、非合法な事やってる人達さえ、それ相応の目で見られながらも、そのままで受け入れられ、だからそれを恥じたり隠すことも無く、その必要も無く、屈託無く生きている。 すべてが、起こるべくして起こったこと。 正邪も何もない。

風評的な偏見や差別が無いってことなんだと思う。

酔っ払って、目に前にぼよよんとあったオッパイに触ってしょっ引かれ総バッシング、陰湿な”社会的制裁”を受け続けて、自殺したり(これは他殺です)、家族ともども夜逃げしたり日陰者の生活を強いられ、人生を棒に振るようなことはメキシコでは起こらない。 いやぁついね、なんて笑って、周りもそうよねと笑って、時々屈託無くからかわれつつ、全く普通に暮らせます。 犯罪者ですら、それは単に社会的なことであって、一己の人間としては決して差別せず受け入れる。

上手く表現できなくて、もどかしいんだけど、こういうありのままの多様性をさらっと受け入れる人達が作る社会、それがメキシコで感じる開放感、心地よさ、住みやすさ、空虚なほどの底抜けの明るさなんだと思う。

たぶんそれ故に、まとまりが無くて、不便で、非効率で、いささか危険で、不衛生で、いいかげんな国民だとも思うけど、だからこそ面白いんだよね。 当面のところ、僕はメキシコに住み続けたいと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年7月12日 (金)

回想録ーXXXIII GDPを減らしつつ

0bcanon2345_convert_20130708112946メキシコの田舎の村には、ひっくりするほどの低収入で、元気に暮らしている人達が、たくさんいた。 たとえばね、村外れの母子家庭のお母さん。 サボテンの若葉が萌えるころには、葉っぱを摘んで棘を取って、売り歩く。 はい一盛り10ペソ。 投網で獲った魚を持ってきたり、タマレスを作って売りに来たり。 頼めば、裏庭の草刈なんかもやってくれる、半日50ペソとかで。 月収は一万円も無いんじゃないかな。 それで、ちゃんと3人の子供を育て、ご本人は丸々太って健康そのものだ。

お宅は、椰子の葉のニ間の小屋で、お母さんが材料を集め、ご近所の人が手伝って建てた手作りだ。 小さなテレビとベッドと食卓があるだけ。 炊事には、薪を集める。 木陰に家族の数の、手編みのハンモックが吊ってある。

庭には大きな母ブタがいて、年に2~3回、10頭ぐらい子を産む。 いつも、子豚が庭をブギブギ走り回っている。  鶏もうじゃうじゃいて、ヒヨコの群れが土をつついている。 鞘インゲンが垣を覆い、チレや瓜も茂っている。

こりゃ、お金使わないわな。 そして、なんと豊かな生活。 もし、これを貧困と呼ぶなら、とんでもない間違いだ。 低収入に悩む僕には、これは福音ね。 見習おうと思った。

よし、GDPを減らしつつ、同時に生活を豊かにしよう。 まず、無駄なものは買わない。 長持ちするもの、良い物を買い、さらに大事に長く使う。 直せるものは、捨てずに直して使う。 骨惜しみせず、身の回りのことを、自分達でやる。 自作出来るものは、自作する。 食材の自給を心がける。 省エネ推進。 それから、自分は食堂をやっていて心苦しいんだけど、できるだけ外食をしない。

効果絶大。 充実した適度な家族労働をしながら、海辺の生活をゆったりと楽しみながら、危急の出費が無ければ、一家6人が月6万円で不足なく暮らせた。 しかも出費の半分は、子供たちの学費と社交関係(フィエスタのギフトとか)だった。 本当は、もっと減らせたってことね。

まあね、考えてみれば、経済指標のGDPなんて、まやかしの数字だ。 家でトウモロコシを作り、庭の鶏を絞めて、集めた薪で自分で心を込めて料理すればGDPはゼロだけど、農園で他人の食べるトウモロコシを作り、鶏の屠殺場に勤め、給料貰って食堂で他人が義理で作った料理を食べればGDPが上がる。 以前記事にしたけど、職人が心を込めて作った揺り椅子を大事に一生使えばGDPは下がり、使い捨てのプラスティックの椅子を壊しては捨てて買ってれば、GDPは上がる。 でも、どっちが豊かな生活か、一目瞭然でしょ。

だいたいさ、経済効果なんて言って、無駄なものを作って買わせて、そして捨てさせてまた買わせて、それで(要らぬ)仕事が増えて、あくせく働かされて、あくせく遊ぶことまで強要されて、お祭り騒ぎさせられて、やあ景気が良くなった、経済成長だ、なんてさ。 誰が仕組んだトリックでしょうかね? こんなの、うちの4歳の愛娘でさえ、お父ちゃんソレあかんわペケやわ、言うだろうね。 こんな経済成長で喜ぶのは、ピンはねして太ってる連中だけだからね。

我々は、呪縛から解放され、もっと幸せに、もっと豊かに、もっと自由になるべきだと思います。

もし今、世界中の人たちが、メキシコの田舎の、”豊かな貧困者達”、のような暮らしを始めれば...。 そしてそれが科学技術と調和すれば...。 どれほど平和でゆったりとした世界が訪れることでしょうか。 イマジンの、ドリーマーの世界ですか? とんでもない、僕はこの目ではっきりと、見ているのだから。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年7月11日 (木)

回想録ーXXXII 生まれ変われるものならば

0aaaaaaaacanon642_convert_201307091 小生には、子供が4人います。 上から高3男、高1女、中3男、それから4歳の末娘。 みんな、メキシコ生まれの2重国籍です。 メキシコの公立校に通っています。 庶民の子だからね。 メキシコの田舎の子供として、元気に育っています。

子供たちを見てて思うのは、こちらの学校は、これで大丈夫なのかな、と不安になるほど、子供にプレッシャーをかけないこと。 競争させるとか、人と比べるようなことをしないんだな。 まずはみんな仲良し。 学業よりも、行事を通して、メキシコ的な社交性や社会性をつけることを重視している感じです。 それから、体罰は絶対にしない(犯罪です!)。

その賜物でしょうか、子供たちは、学校大好きです。 そして、先生方も生徒たちも、超リラックスモードで和気あいあい。 日本で起こってるようなレベルの、苛めとか、登校拒否とか、引きこもりとか、学級崩壊とか、僕の知る限り、無いです。 

もちろん、学校に行かない子供はいますが、それは経済的な理由とか、学校も好きだけど外で遊んでるほうがもっと楽しいからとか(*^-^)。 日本とは次元が違うのよね。

僕は、高校までは、学校が大嫌いでした(日本でです)。 勉強や学問も嫌いだと、それから僕には向かないと思っていました。

大学に入ってから、あれれ、勉強って楽しいじゃんって。 学問って、面白いじゃんって。 僕、ひょっとして学問に向いてるんじゃないかなって。

思い返してみればね、僕は子供の頃から、学問は嫌いじゃなかったのかも。 特に科学や数学には大いに興味があったし。 ただテストで人より良い点を取らなきゃいけないって、試験に合格しなきゃいけないって、重圧の中での点取り目的の勉強は、大嫌いだった。 学校だって、嫌いじゃなかったのかも。 良い友達もいて、楽しい時間もあった。 だけど授業で立たされて質問されて、みんなの前で何でこんなことが分からへんのやアホ、なんて恥をかかされ、苛められ...、あれは拷問だったな...、繰り返し、劣等感をかきたてられて、悲しい思いをするのが嫌だっただけなのかも。

我が子達が嬉々として学校に飛んでいく姿を見ると、僕は青春の大切な部分を棒に振っちゃったのかもと思い、可能性を摘み取られてしまったかも知れんぞと思い、こんな学校に行きたかったな、とも思う次第。

メキシコの、教育レベルですか? 高校までしか子育てしてないんですが、アメリカに比べて劣ってはないと思います。 日本とは、どうかな? 僕の子供の頃と比べれば、点取りテストをすれば僕が勝つでしょうな。 でも考え方はしっかりしてますよ、これは社交教育の成果でしょうね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年7月10日 (水)

回想録ーXXXI その日暮らしの豊かさ

0bcanon1384_convert_20130708031242これからは、テアカパンで暮らしてみて、思ったことを書いていきますね。

テアカパンは、現在人口3000人ほどの海辺の村だ。 会社や工場は無い。 勤め人は、村に一つあるホテルの従業員、学校の先生とか警察とかの公務員。 毎月2回、定額の給料袋を手にするのは、ほんの一握りの人たちだ。

あとは漁業や農業、牧畜に従事する人たち。 雑貨屋やレストランや美容院や、文具店や靴屋や、村人の生活に必要な商店。 収入は、季節や状況によって大いに変わる。

テアカパンの農繁期は、10月から4月までだ。 暑すぎる5月6月、それから水浸しの雨季には農作業が出来ない。 トマトやチレの場合、初秋に苗を作りはじめ、12月から収穫が始まる。 農園主も、労働者たちも、にわかに金回りが良くなる。 収穫終わると、農園主も労働者たちも、長い奴休み。 貧乏暮らしをしている。

漁師は、9月半ばからエビ漁だ。 秋から春にかけては、いろんな魚の漁期でもある。 ボラ、サワラ、フグ、フエダイ、シイラ...。 やはり5月からは、商業価値のある魚はあまり獲れなくなるし、ハリケーンのシーズンに入るので、漁師も暇な時期になる。 木陰で網を繕いながら、終日おしゃべりだ。

もちろん農業は、いい年もあれば、悪い年もある。 気候次第だし、害虫や病気が出ることもある。 豊作でも、相場が崩れればアウト。 漁業だって、いちばん金になるエビが、去年はさっぱりだったし。

先のことは、分からない。 だけどもここの人たちは、本当にのんきに暮らしてるんだな。 金のあるときは、どんどん使う。 無いときには、おとなしく暮らす。 いつ襲ってくるかわからない悪い時に備えて、貯蓄をしようという気は無いようだ。 それから、生活を良くしようとか、投資をしようとか言う気も無いみたい。 ぱ~っと使って、お終い。 その時に応じて、その日暮らしをしていて、相変わらず掘っ立て小屋に住んでいるんだけど、威風堂々、いつも元気いっぱいなんだ。

僕は、ずっと20年以上、会社勤めをしてきたから、こういうライフスタイルが凄く新鮮だった。 考えてみれば、この方が自然だよね。

メキシコは気候がいいから、生きながらえていくには、衣服も家も、たいした物は要らない。 毎日の食べ物にも事欠かない。 村の道をたむろする鶏をとっ捕まえて食っちまっても、そこいらになってる果物を頂戴しても、誰も何も言わない、田舎のこの鷹揚さ、そして豊かさ。 物欲しげに漁師が網から魚を外すのを見ていると、家族もネコも(10匹)満腹して余るほどの魚を持たせてくれる、この持たざる者たちの、おおらかさ。

恵みを信じ、与えられたものに感謝し、それ以上を求めず、惜しまずに分け与える。 そして明日を思い煩わない。 これは、信仰なのだろうか? 牧師さんの説教みたいだもんね。

メキシコの庶民の、瞳の明るさの源が、見えてきたような気がしています。 そして僕も、そうありたいと願います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月 9日 (火)

回想録ーXXX 信じて続けて

Wajicolik_convert_20130706052954...前回からの続き...

テアカパンの村の入り口に、食堂を開店したのは、2006年11月だった。 約40km離れた町に、しょぼい中華レストランがあるだけ、一番近い日本食レストランは、130km北のマサトランだ。 日本食の、不毛地帯。 村人は、誰も日本食を食べたことが無いだろう。 でも、競合も皆無...。

 
食堂と言っても、自宅の前と横庭の木陰に日よけテントを置き、プラスティックのテーブルを並べただけだ。 設備投資がゼロに近い、野外の簡易食堂だね。 夏の3ヶ月間以外は雨は降らないから大丈夫。 日本食堂としては変なスタイルだけど、メキシコの庶民の食堂は、こういうのが主流だ。 外で食べるほうが、気持ちがいいからね。
 
寝室を一つ潰して、水やガスを引いてキッチンにした。 焼き飯、ヤキゾバ、野菜炒め、フライ、てんぷら、酢豚、カレーライス、エビチリ、それから巻き寿司。 日本人は来ないから、味はメキシコ人好みにしてある。 卓には、チリソースやハラペーニョ入り醤油も並べた。 
 
お客は、田舎の村の庶民だ。 超大衆日本食堂にしたかった。 美味しい日本食を、屋台のタコス並みの値段で出したい。 極力、地元の食材を使って、値段を抑える。 それから、漁師や農夫がお客だから、大盛りでいこう。 トルティージャやスナック菓子の持ち込みOK。 飲み物は、スーパーと同じ値段設定。 子沢山のファミリーが、200ペソ札を握りしめてトルティージャの包みを下げてやって来て、満腹して笑顔で帰っていく、そんな食堂にしたかった。
 
小さな村の、小さなパパママ食堂。 大きな期待はしないことにしよう。 とりあえずは、一日に15皿売れればよし。 一皿で20ペソ儲けさせていただいて、一日で300ペソ。 外で働いても一日150ペソだから、妻と二人で300ペソ、自宅で仕事が出来ることに感謝しよう。
 
それぐらいは、すぐに売れると思っていた。 学校や教会でチラシを配ったり、大きな看板を立てたり、それなりの開店準備をしたからね。
 
だけども、売れなかった。 最初の週だけ、どやどやと来てくれたけど、翌週からは閑古鳥。 週末にやっと15食で、平日は5~6皿とか。 巻き寿司一つしか売れない日もあった。 日本食というだけで、寄り付かないんだ。
 
打つ手なし。 ガソリン代に困るほどの貧乏暮らしをしながら、数少ないお客に、心を込めて作った料理を出し続けるしかない。 この頃は、けっこう苦しかった。
 
ところがね、僕の苦悩をよそに、妻や子供たち、のほほんと海辺の村の生活を楽しんでんのね。 仕込み残りで作った野菜炒めや寿司を、嬉々として平らげてくれるし。 こりゃ、僕が音を上げるわけにはいかんわな。 思えばさ、もう僕はメキシコの庶民なんだ。 なんとか衣食住は足りてるんだから、感謝しなきゃ。 それからテアカパンの青い空と海が、いつも力をくれた。 心が折れそうになるたびに、海に出て、野山を駆けて、さあ明日も頑張ろう、明日もって。
 
流れが変わったのは、翌年の夏だった。 町からテアカパンに夏休みの里帰りで来た人たちが、あらこんな所にも日本食が、信じられな~い、と好奇心で来てくれる。 うん、けっこうまともよ、美味しいし量も多くて安いのよ、と今度はテアカパンに住むファミリーを連れてくる。 口コミで、まず村の中の顧客が増えはじめる。 秋からは、アメリカやカナダからの避寒客も、寄ってくれるようになる。 噂を聞いて、何十キロも離れた町から来てくれるお客も出てくる。 不思議なもので、お客が入りだすと、活気が客を呼ぶのか、どんどん増えるのね。
 
いやぁ、助かった。 投げ出さなくて良かった。 あの夏に、売り上げが伸びてなかったら、どうなっていたことか。 ラッキーだった。
 
活況は、麻薬戦争が酷くなりシナロア州南部から観光客が消えてしまう、2010年冬まで続いた。 それ以降は、ほぼ地元のお客だけだけど、生活費の安い田舎の村で、なんとか4人の子供を育てることが出来た。
 
同じコンセプトで、引越し先のコリマでも、食堂をやろうと思っています。 さてさて、どうなるか、楽しみだなぁ。
 
...続く...

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年7月 8日 (月)

回想録ーXXVIIII 一日150ペソ 

Teacapanpp_convert_20130704111953...前回からの続き...

メキシコの庶民になる、なんて妙に張り切ってテアカパンに来たんだけれど、仕事のあてはない。 家を買ったから、蓄えもほとんど無くなった。 収入は、砂漠の町に残してきた家の貸し賃の月3000ペソだけなのだが、この家賃の支払いが停滞している。 困るなぁ。

日本食の食堂をやるアイデアは元々あったんだけど、やっていけるだろうか? 人口2000人の村で、ほとんどが漁師や農業に従事している。 みんな低収入だし、食べ物に関して凄く保守的なのは分かっていたし。 あとは、気候の良い秋から春にかけて来る、アメリカやカナダからの避寒客が少々。 自信が無いなぁ。

悩んでいても仕方がない。 とりあえずは、稼がなきゃ。 僕を使ってくれるなら、どんな仕事でもやってみよう。

というわけで、まずはチレ摘み。 何十ヘクタールもある、広大なチレ畑。 地面に這いつくばって、ハラペーニョやセラノチレを一つ一つ摘む。 約40キロの大袋がいっぱいになると、担いでトラックに持っていく。 これは完全歩合制、一袋で22ペソくれる。 全身土ぼこりだらけになって、日に照らされて一日働いて、最初はやっと5袋。 慣れてくれば、7袋。 長年やってるインディヘナたちでも、10袋程度だ。 まあ、僕なら一日150ペソ(約1500円)がいいところ。 これでは、とうてい一家を養っていけないわ。

それから、漁師のヘルパー。 夜明け前から漁師と一緒に小船に乗って、網を入れたり引き上げたり、魚を選別したり。 浜に着いたら漁具を片付けたり、魚の入ったコンテナをえっちらおっちら集荷場に運んだり。 これは、一日200ペソ。 雑魚は持ち帰り放題。 楽しいし、食糧確保にもなるんだけど、揺れる小船の上での重労働、キツイの何の。 波があれば船酔いもする。 それに、漁師仕事は、板子一枚下は地獄、危険でもある。 けっこう事故で死んでるのね。

あと、左官屋の助手。 セメントを練り、レンガを運び、穴を掘ったり鉄骨を切ったり、土建屋しごとだ。 高い脚立のうえで、とび職まがいのこともする。 一日中、力仕事で腰は曲がる、手はマメだらけ。 一日150ペソ。 これも、きつかった。

僕は身長166cm、体重60kgのチビで、野外の仕事や肉体労働は好きだけど、決して馬力があるほうじゃないし、頑丈でもない。 気合で頑張るほうなんだけど、体力負けしてしまうんだな。 メキシコ人は、強靭だわ。

それから、何よりきつかったのは、これは精神的になんだけど、給料の安さ。 へとへとになるまで働いて、一日150ペソ。 今までは、製造現場をふらふらしてるだけで、その10倍以上貰ってたのよね。 いかに僕が恵まれていたか、楽な仕事をしてきたか。 分かってたことだけど、今回こそ、本当に身にしみたよ。

そう、メキシコの田舎では、何の技能も無い労働者は、汗水たらして働いて、一日150ペソなんだ。 なにか技術があって、やっと300ペソ。 メキシコの庶民になると言うことは、そういうことだ。

テアカパンでの最初の夏は、僕たち家族は、月3万円で生活していた。 お陰で、心身ともに、メキシコの庶民モードに切り替えられたね。

頑張るしかない。 倍稼ぎたければ、人の倍働けば良い。 仕事によっては、人の倍の効率で働くこともできるだろう。 そろそろ、やるか。 幸いにも、妻も働きたくてうずうずしていた。

...続く...        

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年7月 6日 (土)

回想録ーXXVIII そろそろ稼がなきゃ

Teacapandorado_convert_201307030854

...前回からの続き...

テアカパンは、砂州でできた半島の突端にある。 東側(内陸側)は、広大なマングローブ茂る湿地帯だ。 そして、その奥は、西シエラマドレ山脈が横たわる。 西は、太平洋。

メキシコの海岸沿いは、リゾート地や港湾都市が点々とある以外は、一般的に僻地だ。 そして、テアカパン村は、半島の行き止まりの、人口2000人の村。 僻地中の僻地...。

 
意気揚々と、海辺の村の生活をスタートさせた僕たちだったが、棲家がまず問題だった。 一寝室のボロ家で、一家5人の雑魚寝生活は、長くは続けられない。
 
この村、湿地帯に囲まれてるんで、蚊が凄い。 それから、ヌカカという塵のように小さな虫が雲霞のようにいて、これは網戸では防げない。 こいつの場合は、3週間は痒みがとれない(人によっては、半年も)。
 
ここは、熱帯の海岸の暑さだ。 日本の夏みたいに、湿気も多いんだ。 夜も、気温が下がらない。 だって、周りは湿地と海、海水温は28度もあるからね。 狭い部屋で、蒸し風呂だ。 炊事も洗濯も、トイレも水浴びも、裏庭だしね。
 
まるで、キャンプ生活ね。 たまになら良いけど、続けられるもんじゃないわな。 もうちょっとましな家探しが、急務になった。 ところがだな、テアカパンには、まともな家が、ほとんど無いのね。 田舎式の、窓も戸口も気密性が悪い(風通しが良い)家ばっかり。 それから、資金も限られてるし。
 
結局、村の入り口にあった廃屋を買った。 約400万円。 築40年、5寝室平屋。 レンガ造りでは、テアカパンで最も古い家だった(それ以前は、椰子の葉の小屋しかなかった)。 蜘蛛の巣だらけで、コウモリまで住んでいた。 敷地は1200m2もあって、前庭にはバナナが茂り、裏庭にはマンゴーやアボカドやライムの樹も数本ずつあって、森のようだった。
 
部屋には、窓が無かった。 メキシコの古い家は、こういう穴倉みたいなのが多いんだ。 壁をぶっ壊して大穴を空け、鍛冶屋に窓枠を作ってもらう。 窓枠をはめたら、ガラスと網戸を入れる。 うはは、やっと明るくなったぜ。 風も通る。 コウモリちゃん、立ち退きで~す、ごめんね。
 
シャワーやトイレを直し、崩れかけてる天井や壁を補強し、電気配線をやりなおし、ガス湯沸し機を付け、ガスや温水の配管をし、家中を新しくペイントしなおし...。 それから、庭の大掃除だ。 まるで原野を開墾してるみたいだったね。 人が住める状態にするのに、妻と僕と二人でかかりっきりで一ヶ月かかった。 いやぁ、きつかったぁ。 毎日、汗と土埃でぐじゃぐじゃで、絞ればTシャツから汗が滴った。 それから、虫刺されと、暑さで睡眠不足、水ばっかり飲んでるから食欲不振の夏バテ、妻も僕も、5キロ痩せたよ。
 
ともかくこれで、家は確保できた。 相変わらず蚊が素通り、ネコも素通りの田舎家だけど、僕たちも子供たちも、自分の部屋で自分のベッドで眠れる。 扇風機をがんがん回して、風のバリアで蚊を追いながら。 ちっとはましになった。 ふう、やれやれ。
 
だけどこれで、蓄えは無くなった。 5年は暮らせるはずだったのにね。 そろそろ、稼がなきゃ。 しかし、この田舎の村で、僕たちに何が出来るだろうか...。
 
...続く...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年7月 5日 (金)

回想録ーXXVII 洗礼

0aaaaaaaacanon760_convert_201307041

...前回からの続き...

テアカパンに来たのは、4月。 どんどん暑くなる時期だった。 最高気温は30度を超える。 やがて35度。 湿気も凄い。 我が家は庶民の家、冷房が無い、それから、蚊が素通り。 眠れない。 いやぁ、参った。 砂漠に長く住んでたから、暑さには自信があったんだけどね。 湿気のある暑さは、また違うんだな。 へばったね、すぐに夏バテになった。   

6月半ばから、雨季が始まった。 じめじめじめじめ。 昼間はかんかん照りで、蒸し風呂。 毎晩のように、雷雨。 落雷があれば、即停電する。 命綱の扇風機が動かない。 最低気温、28度。 暗闇の中、汗びっしょりで、蚊の大群と戦いながら、夜を明かす。 これは、拷問に等しかった。 3晩続けて停電したときは、もうこのまま死んでしまったほうが楽だな、なんて思ったよ、マジで。
 
ところがね、村の連中ときたら、全然平気で、ピンピンしてるんだ。 この暑さの中、食欲旺盛で、丸々艶々太ってやがる。 蚊が雲のように群れる木の下にハンモック吊るして、イビキかいて寝てやがる。 連中、不思議なことに、ほとんど虫に刺されないのね。 それから、刺されても、全然腫れない。 痒くも無いらしい。
 
テアカパンは、湿地の上に出来た村だ。 雨季には、村中水浸し。 洗濯物が乾かない。 メキシコの家は、地面にいきなり床を打っている。 家の中まで、床に水が浮いて、気持ち悪いのなんの。 家に回りは、泥沼だ。 だけど、ここの人たち、まったく平気なのね。 湿った服着て、泥んこの道を裸足でるんる~んと闊歩してやがる。 まったく、タフな奴らよ。
 
10月になり、やっと朝夕が涼しくなったときには、神様に感謝したね。 生き延びさせていただきまして、ありがとうって。
 
あとね、頻繁に断水があるんだ。 と言うか、水が蛇口から出るときのほうが少ない。 それで、家々に大きな貯水タンクがある。 だけども、一週間も断水が続くと、空っぽになる。 仕方がないやね、村外れの貯水槽までバケツを下げて、泥道をえっちらおっちら貰い水を汲んでくる。 あ~しんど。 水浴びや洗濯は、少し塩気がある井戸水だ。 う~、体がべたべた、気持ち悪ぅ~。
 
幸いにも、子供たちは、なんだかんだ言っても元気だった。 妻は、こういう環境で育ってきてるから、ぶうぶう言いながらも、大丈夫だ。 僕は、最初の夏は、本当に参った。
 
いやはや、メキシコの田舎生活は大変だわ。 えらい事になったぞ。
 
でもね、村の前は、海だ。 波に飛び込めば、心は晴れる。 電気クラゲに刺されようが、エイ踏んづけようが、るんる~んなのね。 魚はいくらでも釣れるし、生き物うじゃうじゃの原野もあるし。 テアカパンの自然は、最高なんだ。 お陰で、どんなに苦しくても耐えられた。
 
そして...、慣れるもんなんだよね。 2年目の夏には、扇風機を最強にすれば、熟睡できるようになった。 もう食欲も落ちない。 虫に刺されても、ちょこっと赤くなる程度になったし、痒みもすぐに取れる。 村の連中見たいには成れないけど、さんだん免疫が出来てきたみたい。 停電も、水浸しの雨季も、そりゃキツイけど、たかだか3ヶ月の辛抱、精神的に余裕がもてるようになった。
 
...続く...

| | コメント (0) | トラックバック (0)