OTTOからのメッセージ

2017年1月 1日 (日)

謹賀新年

Img_6199bll新年あけましておめでとうございます。

皆様、良い年をお迎えのことと思います。

僕は...、どうなのかな?

なんだかね、思いを廻らせれば、世界はどんどん悪くなっているようで。 僕が本当の意味で物心ついた30年前よりも、確実に悪くなっているようで。
 
僕自身も、風の向こうに、地平の彼方に、はっきりと見据えていたはずのものが、日々の喧騒にまぎれてしまい、時には疑い、あるいは投げ出したくなったり。
 
いつの間にか、籠の鳥と思い込まされ。
 
求めることを止め。
 
思いを語ることを忘れ。
 
熱く語ることを恥じ。 歯を食いしばることを恥じ。 額に汗することを恥じ。 
 
違うだろって。 僕たち、ほんとはもっと、ロマンチストなんだろ。 夢追い人なんだろ。
 
ほんとはもっと、真面目に生きたいんだろ。 頑張りたいんだろ?
 
頑張ろうぜ。 そう、もっと、頑張ろうぜ!
 
志を同じとする友よ。 いつか風の中で、出会えることを願います。
 
懐かしい歌など、どうぞ。   
 

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2016年3月25日 (金)

世界中が幸せに

Img_2334_convert_20160325012353 早朝、我が家の前のガソリンスタンドに集結した、メキシコ軍治安部隊。 ご苦労様です。 どうか気を付けて。
 
Img_2476_convert_20160325013102 セマナサンタの華やいだ喧騒の中、コンビニの前でインスタント麺をすする少年。 出口で客から小銭をせびり、やっと足りたんで、朝ごはんと言うわけですな。  ゆっくり味わって食べてね。
 
ハッピーイースター! 世界中が、幸せになれ...。

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2016年1月 1日 (金)

新年の願い

Img_1137_convert_20151231115319テアカパンの我が家の屋根の上から、東方を望む。

クリスマスも年末年始も、訪れる人もなく、ずっと家にいます。 でも良いんです。 宴会やフィエスタは嫌いだし。 喧しい音楽も、喧しいおしゃべりも大嫌い。 一人でいるのが好きです。

青い空と、青い海と、風吹き渡る山野があればね。 夜には、月の満ち欠けをたどり、星空をめぐり。 いつでも、どこででも、一人っきりで、ちっとも寂しくありません。

  
でもね、こうして風に吹かれていると、誰かが傍にいてほしいような気もします。 そう、ずっと黙ったままでも気を使うことのない、心優しく寡黙な友と、並んでひざを抱えてね、いつまでも、いつまでも、風に吹かれて、一緒にいられたら...。 それが僕の、新年の願いです。 あなたと、この願いをともにすることを、夢見ます。

謹賀新年! 今年もどうかよろしくお願いいたします。 新しい年が、私たちの願いか叶う、良い年になりますように。

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2015年7月16日 (木)

遠くからだけど

Img_9706_convert_20150716101603_2シナロア州テアカパンにいます。 僕の本拠地、そして第2の故郷です。 大きなハリケーンが太平洋上にありまして、メキシコ北西部の海辺の村は、酷く暑いです。

メキシコでは日曜日から、道路での無差別検問がいささか厳しくなってまして、警察も兵隊もピリピリしてます。 僕がいるのは、首尾よく脱獄した首領の地元で地盤ですから、おおいに微妙な空気ではあるんですが。

さて、日本のニュースはいつも目を通しています。 安保法案、可決の運びのようですね。 僕には、本当の日本の民意が何なのかが分からない。 あるいは、民意など、実は無いのかとも。 棄権はいわば委任状だし、反対デモにたとえ10万人集まったとしても、全人口のたったの千分の一(凄いことですが、でも切所であろう今におよんで)。 もう日本の方々は、自ら未来を拓く意志を捨て、日々の安易な日々に逃避することを選んだんだと。

でもね、昨日今日と、ネットでデモや街宣の動画を見ていて驚きました。 僕は前に、IS人質事件の時に、書き込みを読み漁って、あまりの酷さに呆れ絶望してたんですが...。 街宣のSEALDs弁士の人達、みんな真面目で真摯で、品行方正で、聡明だなぁと。 聴衆たちも、良い感じ。 日本で、学生たちが立ち上げ運営する団体が、一般の聴衆たちと共に、これだけのことを出来るんだと。 デモの人達も、良い感じ。 そう、ほんと、みんな良い感じなのね、良い目してる。 こんな若者たちがいて、こんな市民がいて、こういう事が出来る日本、色んな意味で捨てたもんじゃないなぁと。 対して、メキシコはどうよ。 正直、うらやましいです。

僕は今まで、こういう順法デモの効果を疑問に思い、あまり好意的には見てなったんですが、不明の至りでした、考え方変わりました。 こうして地道に国民の関心を高めていくことが正攻法ですね。 僕もあの人たちの輪に加わって、語り合いたいとも思いました(ジジイのくせにね)。

以下、世界有数の危険地帯に住む、4児の父からのメッセージです。

僕たちが求めるのは、格差のない平明な社会、多様性を認める、差別や偏見のない、自由な社会であります。 常に求めるのは、相互理解と協調であり、暴力や搾取や侮蔑ではありません。 僕たちが守り、子供たちに引き継ぐべきものは、豊かな文化や風土、日々の平和な暮らしであります。 子供たちの未来を託せる夢と希望に満ちた世界であります。 戦争は、権力や政府、為政者たちのためのもの、民には恐怖と絶望と悲嘆のみを与え、平和はもたらさないと思います。 日々恐怖に怯える生活が、どれほど辛く悲しいか。 殺し合いのない、死の恐怖におびえることのない、平和な日々を、心から願います。 日本で、平和を願い、行動を起こしている方々に、遠くからですが、心からエールを送ります。

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2013年7月12日 (金)

回想録ーXXXIII GDPを減らしつつ

0bcanon2345_convert_20130708112946メキシコの田舎の村には、ひっくりするほどの低収入で、元気に暮らしている人達が、たくさんいた。 たとえばね、村外れの母子家庭のお母さん。 サボテンの若葉が萌えるころには、葉っぱを摘んで棘を取って、売り歩く。 はい一盛り10ペソ。 投網で獲った魚を持ってきたり、タマレスを作って売りに来たり。 頼めば、裏庭の草刈なんかもやってくれる、半日50ペソとかで。 月収は一万円も無いんじゃないかな。 それで、ちゃんと3人の子供を育て、ご本人は丸々太って健康そのものだ。

お宅は、椰子の葉のニ間の小屋で、お母さんが材料を集め、ご近所の人が手伝って建てた手作りだ。 小さなテレビとベッドと食卓があるだけ。 炊事には、薪を集める。 木陰に家族の数の、手編みのハンモックが吊ってある。

庭には大きな母ブタがいて、年に2~3回、10頭ぐらい子を産む。 いつも、子豚が庭をブギブギ走り回っている。  鶏もうじゃうじゃいて、ヒヨコの群れが土をつついている。 鞘インゲンが垣を覆い、チレや瓜も茂っている。

こりゃ、お金使わないわな。 そして、なんと豊かな生活。 もし、これを貧困と呼ぶなら、とんでもない間違いだ。 低収入に悩む僕には、これは福音ね。 見習おうと思った。

よし、GDPを減らしつつ、同時に生活を豊かにしよう。 まず、無駄なものは買わない。 長持ちするもの、良い物を買い、さらに大事に長く使う。 直せるものは、捨てずに直して使う。 骨惜しみせず、身の回りのことを、自分達でやる。 自作出来るものは、自作する。 食材の自給を心がける。 省エネ推進。 それから、自分は食堂をやっていて心苦しいんだけど、できるだけ外食をしない。

効果絶大。 充実した適度な家族労働をしながら、海辺の生活をゆったりと楽しみながら、危急の出費が無ければ、一家6人が月6万円で不足なく暮らせた。 しかも出費の半分は、子供たちの学費と社交関係(フィエスタのギフトとか)だった。 本当は、もっと減らせたってことね。

まあね、考えてみれば、経済指標のGDPなんて、まやかしの数字だ。 家でトウモロコシを作り、庭の鶏を絞めて、集めた薪で自分で心を込めて料理すればGDPはゼロだけど、農園で他人の食べるトウモロコシを作り、鶏の屠殺場に勤め、給料貰って食堂で他人が義理で作った料理を食べればGDPが上がる。 以前記事にしたけど、職人が心を込めて作った揺り椅子を大事に一生使えばGDPは下がり、使い捨てのプラスティックの椅子を壊しては捨てて買ってれば、GDPは上がる。 でも、どっちが豊かな生活か、一目瞭然でしょ。

だいたいさ、経済効果なんて言って、無駄なものを作って買わせて、そして捨てさせてまた買わせて、それで(要らぬ)仕事が増えて、あくせく働かされて、あくせく遊ぶことまで強要されて、お祭り騒ぎさせられて、やあ景気が良くなった、経済成長だ、なんてさ。 誰が仕組んだトリックでしょうかね? こんなの、うちの4歳の愛娘でさえ、お父ちゃんソレあかんわペケやわ、言うだろうね。 こんな経済成長で喜ぶのは、ピンはねして太ってる連中だけだからね。

我々は、呪縛から解放され、もっと幸せに、もっと豊かに、もっと自由になるべきだと思います。

もし今、世界中の人たちが、メキシコの田舎の、”豊かな貧困者達”、のような暮らしを始めれば...。 そしてそれが科学技術と調和すれば...。 どれほど平和でゆったりとした世界が訪れることでしょうか。 イマジンの、ドリーマーの世界ですか? とんでもない、僕はこの目ではっきりと、見ているのだから。

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2013年4月24日 (水)

幸せ

0aaaaaaaacanon385_convert_201304240 テアカパン村を闊歩する、犬たち。

なんだか、心和む風景だと思いません? いかにも自由の中で、自然にできた動物の群れって感じで。 けっこう、幸せそう。

大きさも、種類も、いろいろ混じってますねぇ。 放し飼いの飼い犬や、勝手に居着き犬、半野良犬とか、まあストリートドッグたちですな。

テアカパンのような村では、犬は去勢しませんから(金が無い~)、犬は適当に恋をして、適当に交わって、いろんな雑種が適当に産まれる。 まあだけど、事故や病気で死んだり、態度が悪いって叩き殺されたりして(゚m゚*)、適当に自然淘汰され、野良犬が溢れることも無い。 それから、村人は犬に容赦はしないから、総じてストリートドッグたちは人に従順で、平和に共存してます。

0aaaaaaaacanon_388 そして、夕日の村外れ。 子供たちの笑い声、叫び声がこだまする。

こちらも、男の子も女の子もいて、年齢もまちまち。 裸足の子もいますね。

みんな本当に元気で、何の屈託も心配も無く、その刹那を全身全霊で遊んでるって感じが良いです。

本当の幸せって、こんな単純なものなのかもね。

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2012年3月14日 (水)

笑顔

0acanon010_convert_20120314111415 テアカパン村の水産高校、CETMERの女子高生達です。 今日は課外活動で、ちょっとおめかしして隣村までお出かけらしいです。 だけど足は自転車一台。 うちの前で、サーカスの曲乗りみたいな事をやって、きゃあきゃあ大騒ぎ。

おい、写真とってやろうか、なんて言ったら、わ~い撮って撮って、はいポ-ズ。 いやぁ、いい笑顔だ、まさに天真爛漫、まるでメキシコの青空のようですな。

メキシコの少年少女達の、こういう底抜けに明るい笑顔、いたるところで出会います。 これはどうも、まったくプレッシャーのない環境から生まれるように思います。

僕の住むテアカパンはメキシコの僻地の村、この娘達もごく普通の庶民の子です。 彼女達の学校では、経済的理由その他で学業放棄する生徒がたくさんいます。 妊娠出産する娘も結構いるし、結婚する子もいる。

だけどもね、村では大きなお腹を抱えた女子高生も、シングルマザー女子校生も、学校を中退して牛追いをする若者も、学校が厭になって何もせずにぶらぶらしてる子も、はなっから学校なんぞには行かず15で所帯を持って子供もいて漁師をやってる子も、なんの屈託もなく、周りも何の偏見も無く、みんな胸を張って青春を謳歌しているように見えます。 もちろん青年達だけでなく、老若男女みんながです。 そりゃそうでしょ、何にも悪い事なんかしてないんだから。

メキシコは日本に比べれば全然貧しい国です。 ここんとこ貧富の格差は広がるばかり、おまけに麻薬問題から来る治安悪化、あまり明るい話題はありません。 日本ー年間3万人が自殺する国、メキシコー年間2万人が殺される国...、どうもこの笑顔を見れば、明らかにメキシコのほうが正解だなと言える部分があると思います。

思えばね、僕も日本にいた頃は、なんとも窮屈に生きていたと思う。 苦しくても我慢して頑張らなきゃいけない、厭な事もしなけりゃならない、決められたことは守らなきゃいけない、良い学校に行かなきゃ、良い会社に就職しなきゃ、生活力が無いのに結婚しちゃいけない、無責任に子供作っちゃいけない、出る釘は打たれます、世間が許しません、いつも空気読んで生きて行きましょう、デブだめ、ネクラだめ、オタクだめ、いい男いい女とはこういうのです、勝ち組負け組あなたはどっちでしょう、人並みの年金貰うために働き続けましょう、逃げ道はありません...、いつの間にか、自分が自分でなくなっていた。

メキシコに来て、こんな笑顔に触れ続けているうちに、僕の肩にのしかかっていた何かがぱらりと落ちた。 そして少しずつだけど、自分の頭で考え、好きなことは好きと、厭な事は厭と、素直に受け入れられるようになっていると思う。 まだまだ足りないけどね。

僕にもいつの日にか、この少女達のような笑顔が宿る日が来るのでしょうか。 それは僕の自由への旅...、なんちゃってね、ぎゃはは。

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2011年10月31日 (月)

エル・ロサリオから山麓地帯の探索ー8 春を知らない鳥

0bcanon888_convert_20111030062228 エル・ロサリオから少し山間に入ると、舗装道路は小さな村に入ります。 その先は未舗装道路の土道です。 兵糧にパンでも買って行こうと小さな食料雑貨屋に入ると、キィギィ、キョロキョロとオウムの声が響いてきます。 店のオバサンに訊いてみると、奥からこの子達が連れ出されてきました。

うむ、ペリコ・フレンテナランハ(PERICO FRENTINARANJA)、Aratinga canicularisですな。

小型のオウムで、このあたりでは一昔前には普通種で、山村の庭木に鈴なりに止っていたりしましたが、どんどん減ってしまって、とうとう2005年に捕獲が完全に禁止された種です。 この子達は、たぶん2歳ぐらいの若い鳥です。 不法に捕獲されたことは明らかです。

毎年、初夏の頃に、山奥の村から売りに来るそうです。 たぶん、巣立ち間際のヒナ鳥を、巣から拉致して来るんでしょう。

まあ、この種は捕獲禁止になったとは言え、メキシコのオウム類の中では個体数が多く、急に絶滅に瀕することはないと思われる種です。 野鳥の行商(違法です!)で売られているオウムの多くはこの種です。

0bcanon883_convert_20111030061841ちょっと複雑な気持ちでしたが、人によく慣れていて、健康状態も良さそうなのが救いです。

こわばった顔で、可愛いね、なんて言っていると、もう一羽いるのよ、これは高かったのよ、薄暗い土間の奥の廊下に通されました。

目が慣れてくると、一羽の一回り大きなオウムが、籠の中から僕を見下ろしています。 今度は本当に顔が引きつりました。

緑の体、赤い額と藤色の後頭部...、ぺリコ・カベサ・リラ(PERICO CABEZA LILA)、Amazona finschi メキシコ太平洋岸の限られた地域だけにいて、個体数は千羽以下と推察されている種です。

薄暗闇の中から僕を見て、ギャーギャー鳴きます。

...喧しいでしょ、春にはもっと喧しく鳴くのよ...

世界に数百羽しか居ない鳥が、幼い頃に巣からさらわれて売り飛ばされて、物心ついた時から、薄暗い廊下の籠で、ずっと一羽きり。

それでも時が来れば、誰も教えない歌を歌う鳥...。

春がくれば、決して知る事のない、春を夢見て歌う鳥...。

僕はすっかり取り乱してしまって、写真を撮るのも忘れ、思わず籠を開いて、その鳥を解き放ちたいと思った。

だけどもやがて、けたたましく鳴くその鳥を眺めるうちに、籠の中で育った鳥は、もう自然の中では生きて行けないことに気がついた。

何のためにあるのかを知ることもないであろう翼をぎこちなく開いて、バタバタ動かして、けたたましく鳴き続ける、その鳥。

胸がしんと冷たくなって、涙がどっと溢れてきた。 僕は慌てて、明るい朝の通りに駆け出した。

ごめん、何もしてあげられない。 だけど、聴いたからね...、しっかりと、聴いたからね...、お前の春の歌。

あれから時々、あの鳥の事を思い出すたびに、胸が痛んでしかたがない。 

野生の鳥を捕らえて来て、小さな檻に閉じ込めて、飼うのはとても酷い事。 楽しみのために、生き物の自由を奪うことは悲しい事。 僕はこれから、ありとあらゆる生き物達に、もっと優しく生きていこうと思う。

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2011年5月 3日 (火)

氷菓売りの子供達

100_1776_convert_20110502071113 エスクィナパの街角を行く、氷菓売りの少年達。 だいたいの見当ですが、小学校4年から中一ぐらいの年齢です。

元締めのババアから(失礼)、アイスキャンデーがぎっしり入ったペンギンの絵の付いた青いクーラーを預かると、御揃いのユニフォームを着て、横丁に散らばって、声を張り上げて売って歩きます。 売り子は、オバサンやお兄さんもいますが、子供が多いです。

この日は金曜日でしたが、今週までは春休みです。 春休みのバイトだなと思って呼び止めて訊いてみると、普段も授業が終ってから、1時過ぎから夕方まで働くそうです。 頑張ってるなぁ。 学校サボったらあかんぞ。100_1777_convert_20110502074112 ブログに載せてやるから、と言ったら、大張り切りでポーズをとってくれました。

右の子が齧ってる(これ、給金から売値で天引きね)、袋を噛み破ってチュウチュウ吸って食べるタイプが売れ筋で、一つ3ペソ(20円ちょっと)です。 これからもっと暑くなったら、半日で200本以上売れると言ってました。 たぶん僅かな歩合給なんでしょうけど、それでも大いに、家計や学費の足しになるでしょう。

子供の労働はイカンですか? いやいや、仕事自体がまともだったらですけど、僕は大いに結構だと思ってますよ。 それがたとえ、そうしなければ食えなくて仕方なくやってるとしてもです。 この子達だって、遊んでる様に見えても、汗水流しての真剣勝負です。 売れなかったり、商品を溶かしたり、代金をごまかされたりしたら、モロに自分に跳ね返って来ますからな。 ち~ち~ぱっぱ~保育園状態の学校よりも、間違いなく学ぶ事はずっと多いでしょう。

この子達が、こうして学んだ事は、大地に根を張り、丈夫な幹になって、やがて来る春の日に枝葉を茂らせるでしょう。 明日のメキシコを背負って立つのは君達だよ。

...どうか勤労少年達の未来に光あれ...

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2011年3月23日 (水)

春と原発

100_1400_convert_20110323110339 昨日も臥せってました。 今朝もダメ。 もうちょっと様子を見て悪化するようなら、病院送りかもね。 そういう訳でごめんなさい、先週の土曜日に撮った写真です。 アカポネタの街角の植木屋さん。 バラをはじめとして春の花がいっぱいです。 果樹も置いてます。 こういう植木屋でオレンジの苗を買ったらグレープフルーツが成ったなんて話し、良く聞きます。 まあ、ご愛嬌ですね、春ですからな。

昨夜はヨロヨロとPCの前に座って、気になる原発の様子を検索していたんですが、情報少ないですな。 ともかく人工放射性元素が環境から高濃度に検出されていますから、事態は超深刻のようです。 健康に問題なし、の連発にも抵抗を感じます。 いえね、例えば環境は健全で、空気だけが数値が高い、と言う事なら、まあある程度、”健康に影響なし”を信じますけど、今の場合、食べ物も水も、土壌や海洋も、あらゆるものが汚染されてるわけです。 四方八方から放射線を浴びます、トータル被曝量は相当高いでしょう。 しかも放射能漏れは止ってない。 この状態が長期に渡るかもしれないし、悪化する可能性も大です。 常識的に考えて、”健康に影響はない”、ではすまないでしょう。 関東以北、青森以南の若い人達は、逃げたほうがいいと思う。 メキシコに来ますか?

それから、”想定外”、という言葉にも食傷気味です。 そりゃあ事実、1000年に一度の規模の津波だったんでしょう。 だけどもね、良く考えて下さい。 1000年に一度と言う事は、10年単位で見れば確率1%です、決して低くはない。 今僕にお供してくれてる2歳の末娘があと100年生きるならば、その間に起こる確率は10%、これはもう相当高いと言って良いでしょう。 ではどうするか。 日本列島全体を、耐震耐津波にしますか? そんなこと出来ないし、そういう構想は土建屋と官僚が喜ぶだけです。 被害はみんなの努力で復興できます(僕、神戸の出身で~す)。 だけど失われた命は戻らない。 例えば津波に関しては、30mのが来ても大丈夫な避難場所を、津波警報から10分で子供の手を引いて徒歩で行けるところに確保するですな。

そしてです、話は戻って、いくら耐震にしようが耐津波にしようが、必ず原発事故は起こります。 その時にはまた、想定外、という言葉がしゃあしゃあと出てくるでしょう。 そしてまた、国土の何パーセントかを、100年単位で不毛の土地としてしまうでしょう。 長期に渡る健康障害が、どれほどのものになるのかは我々には見当もつかない。 事実が隠蔽されているのですから。

地震列島、津波列島である日本に、リスクがケタはずれに大きい原発は作るべきではなかった。 徐々にですが、全廃するべきです。 それだけじゃなく、全ての原子力利用を見直さなければならんでしょう。 根本的に、原子力という火は、人類が扱いきれるものではないのだから。

では電力はどうやってまかなうのか、ですか? まあね、これは電力だけの話じゃなくて、地球全体を救う話になります。 経済発展と言う悪魔から、魂を取り戻しましょう。 日々のドンチャン騒ぎを控えめにして省エネ生活をしましょう。 少しおとなしく生きていきましょう。 少し貧乏しましょう。 僕の、日本の近未来像は、物質的にもエネルギー的にも決して豊かではないけれど、安全でクリーンで平和で風光明媚で、安心して人々が幸せに住める国です。 日本人なら、きっと出来ます。 世界中の国のモデルになります。 メキシコの北の、悪魔の国の人々も、きっと目を覚まします。 今、道を誤らないようにしましょう。 おそらく今が、神が与えてくれた、最後のチャンスなんだから。

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